不幸な愛を自ら招く「共依存と依存」の歪んだ危険な関係

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こんにちはmarupoです

 

夫婦や恋人同士の「真の親密」というものは、お互いの純粋な愛情のもと適度な距離を保ち、尊重し合いながら共に幸せを築いていくことです。

 

そして、自分も相手も、それぞれのその人らしい等身大の姿で存在することを認め合い、それを信じあえることが、本当に愛している者同士の親密な関係なのです。

 

しかし「共依存な関係」とは、自分たちの歪んだ愛情を間違いだとは気づかずに、それを与え求めあい続ける悲しく危険な関係なのです。

 

そんな歪んだ愛情をもってしまったのは、いずれも幼いころの母親(または養育者)との関係が大きく影響しており、そのとき幼少期に受けたこころの傷が原因でそうしてしまうのです。

 

では、そんな心の傷をもったまま、お互いに歪んだ愛情を与え合うと、その関係がどんな結末になっていくのかここから詳しくみていきましょう。  

 

 

心に「コブ」をもつ共依存症者と心に「穴」がある依存者

 

まず共依存関係をつくってしまう人とは、どのような幼少期を過ごしていたのでしょうか。

 

人は生まれてから、ある程度大きく成長するまでは、養育者(母親)がいなければ生きていくことができません。

 

その母親である養育者から、無条件の愛情をたくさん与えられると、その子どもは大人になって、パートナーと純粋な愛情で真の親密な関係を築くことができます。

 

しかし、母親から受けた愛情が「条件つきの愛情(ストローク)」であった場合、それが心の傷となって残ってしまうと、自分を顧みずに相手のために必死になってお世話をするような「共依存症者」となります。

 

これは、その人が幼いころから、ある一定の課題や条件をクリアしなければ、親から褒めてもらえない、また大好きな親からの愛情をもらうことができない、という気持ちのまま成長してしまったためなのです。

 

なので、歯を食いしばってでも親の言うとおりに、それを必死で頑張るような子ども時代を過ごしていたのです。

 

要は、親にとっての「いい子」として育った人が多く、自分の意志とは関係なく、大人の期待にばかり応えてきた幼少期や子ども時代を過ごしてきた人なのです。

 

しかしそれは結局、親のエゴだったり願望や期待、見栄であったため、その子の本当の姿のままでは、愛されず許してもらうことができなかったのです。

 

また、これは本当の自分は「否定」されているのと同じことでもあり、それがその人の無意識の中で心の傷となって残っているのです。

 

⇩⇩ストロークの説明はこちらから・合わせてお読みください⇩⇩

無条件の愛情(ストローク)と条件つきの愛情

 

一方で依存者は「無条件のマイナスな愛情(ストローク)」を受けて育ってしまった人が多いのです。

 

これはたとえば、子どもの頃に親から「あんたなんて産まなければよかった」「あんたって本当にダメな子ね」などの言葉を言われ続けていたり、いつも一人寂しい思いをしていたなどの幼少期を過ごしていた人です。

 

また酷い場合は、ネグレクトや人格否定など、親からの一方的な心ない言動で傷ついてしまうような、残酷な愛情のもと育てられたことが原因で、大人になってからもいろんな障害を心に抱えてしまうのです。

 

そして、どんどんと体だけは成長しますが、残念なことに真の愛情がなんなのかわからないまま大人になっていきます。

 

また、その心の隙間を埋めたいという共依存者が現れると、その相手にたとえ酷い扱いをしても、自分に対する愛情を確認するように、平気で暴力行為(DV)をしたり傷つけることを繰り返します。

 

なぜなら、自分の親から与えられた唯一の愛情が「傷つけられる」ことだったからです。 なので、本当の愛情表現がそれしかわからないためそうするのです。

 

そして依存をやめることもなく、相手から離れることもせずに生きようとします。 これは、傷ついた自分の心を、何かに没頭することで虚無感を感じないようにしようとしているためです。

 

 

 

ただどちらの場合も、そんな自分の心の傷に「気づいていないためそうなるのです。

 

また心理学では、そんな過剰で間違ったエネルギーをもつ共依存症者の心の傷を「コブ」といい、心にぽっかり穴があいたまま、隙間風をいつも感じているような虚無感の中で生きている依存者の心の傷を「穴」といいます。

 

そして、その共依存症者の中にある「コブ」という傷には、大切な親からの愛情(ストローク)を得るために、本来の自分を偽ってまで頑張ったエネルギーがたくさん詰まっているのです。

 

そんな共依存症者は、自分のことなどさておき、相手の世話をすることに夢中になりすぎてしまい、その人(依存者)が背負うべき責任までも自分が負いながら必死に相手に尽くします。

 

なぜなら、その自分の過剰なエネルギーを、相手に一生懸命お世話をすることに使うことで、無意識に自らの心の傷を癒そうとしているからです。

 

一方で依存者は、自分が子どもだったときと同じように、心の中にはいつも寂しく虚しい隙間風が通っているかのように、生きていることの罪悪感や不安が常につきまといます。

 

なので、その不完全で不安定な自分をいつも何か一定なもので満たそうとし、「穴」となった空虚感を埋めようとします。

 

そして、育ちの違うこの「コブ」と「穴」をもつ人達は、なぜか引き寄せられるようにお互いを必要とすることが多々あります。

 

また、そのような共依存関係を「カプセル化」といい、これは健全な関係とは違ってお互いをコントロールし合おうとする関係です。

 

この関係は、お互いに迷惑をかける人(依存者)と迷惑をかけられる人(共依存症者)という相手がいないと成立せず、自分が存在し得ません。

 

たとえば

◉こころの穴を何かで埋めようと依存する…依存者Aさん    

◉過剰なエネルギーを受け止めてくれる人を求める…共依存者Bさん

⇩⇩

・この二人はお互いが求めるところを補い合う関係

・AさんとBさんはふたつでひとつ

・お互いなしでは成立しない 【カプセル化】

 

しかしそれは、そうコントロールし合ってる関係が「親密な関係」だと勘違いする構図なのです。

 

 

 

では「穴」と「コブ」をもっている人たちは、どんな大人として生きるのでしょうか。

 

「穴」を持っている人 【原因】無条件のマイナスストロークを幼少期に受けてきた人

⇩⇩

「穴」を持った人は、大人になると『依存』という代替行為によって、自分のこころの穴を埋めようとします。

そして等身大の自分、自尊心を取り戻そうとあがきながら生きていきます。

 

 

「コブ」を持っている人 【原因】条件つきのストロークを幼少期に受けてきた人

⇩⇩

「コブ」を持った人は、大人になると『共依存』という代替行為によって、本来の自分や自尊心を取り戻しているような、そんな錯覚に陥りながら生きていきます。

 

また、依存者はその名の通り、何かに依存しながらじゃないと生きることができません。

 

そして、体がボロボロになってもお金が底をついてしまっても、その行為をやめることができずに、自ら苦しむ人生を歩んでしまいます。

 

そんな依存症とは、たとえば

・アルコール依存症 ・買い物依存症 ・ゲーム依存症 

・パチンコ依存症 ・薬物依存症 ・ギャンブル依存症 

・仕事依存症 ・恋愛依存症 ・DV暴力 

・タバコ依存 ・習い事依存症 ・ネット依存症 

・摂食障害 ・SEX依存症…など

 

そして共依存者は、そんな「依存者」に対して、自らを犠牲にしてまで過度に世話をしたり、相手の行動をコントロールすることに力を注ぎます。

 

それは、自分がどんなに依存者であるパートナーから暴力を受けても、

「自分が悪いから殴られるんだ」と、自分を責めたり

「あの人には私がいないと生きていけない」

などという間違った強い思い込みを、自分の「信念」として生きようとします。

 

また、相手をコントロールするということは、自らのことはさておき相手の世話をすることで、その人(依存者)が背負うべき責任までも自分が背負いながら、その人(依存者)をますます無責任にしてしまうようにするのです。

 

なぜなら、その依存者を自らダメにしながら、しかもそれに気づかないまま「相手のため」と思い込んで、お世話をし続けることが幸せを感じる唯一の方法であり、そこに自分の存在価値を見出そうとするためです。

 

そんな共依存症者は、様々な「犠牲・忍耐・苦痛・不自由」を感じながら、またそうしてまでも相手に尽くすことに喜びを感じています。

 

なぜなら、それは誰かに必要とされたり、支え続ける環境があることが、自分の存在意義の証明となるからです。

 

 

この「共依存関係」は、健全な助け合いとは違って、お互いにいつまでも自分の穴が埋まらない、相手にどんなに一生懸命に尽くしても自分のでっぱり(過剰なエネルギー)が収まらない、という感じがするのです。

 

なのでお互い「これでOK」というゴールがなく、依存者はパートナーの共依存者に迷惑をかけながら、お金がなくても暴力を振るってまでも、ただ自分の心の穴を永遠に埋め続けようとします。

 

そして共依存症者も、自分がボロボロになっても、自らのコブをそんなパートナー(依存者)に尽くすことで収まらせようと必死になります。

 

しかし、どんなにお互いそれを求めあっていても、自分の「穴」や「でっぱり」のそれぞれのうずきは、他の誰かや何かでは埋められないのです。

 

共依存症という病

 

「enabling」イネーブリング … enable~を可能にする。

 

依存者が「依存」を継続することを可能にするために手を貸してしまう、そういう行為を英語でそう言います。

 

共依存症者が「あなたのため」といいながら、相手にいくら世話をしても、依存者に「自律性」がなければ、すぐに反動がきて依存行為に舞い戻ってしまいます。

 

なので世話をし続けることは、そんな相手を助けていることになる、という意味がここには含まれています。

 

しかし共依存症者は、自分の「共依存」を否認します。

 

そして共依存者のほとんどの人が口にする言葉があります。

たとえば

・『この人は私がいないとダメになる…』

・『私があの人を支えてあげないと…』

・『私が助けてあげないと、この人は破滅してしまう…』

…など。

 

つまり、自分は共依存などの病などではなく、ただこの人にとって絶対必要不可欠な存在である、と言っているのです。

 

そしてこれらの言動の背景には『誰かに求められたい』『必要とされたい』という共依存者の潜在的な願いがあるのです。

 

しかし共依存症者は、そんなパートナーから暴力を受けたり、生活が苦しく自分が犠牲になっても、なぜそこまでしてしまうのでしょうか…。

 

 

それは共依存症者の「でっぱりのコブ」の中には、自分の大事な親からのストロークを得るために、幼い自分が必死で頑張って条件をクリアしてきた習性が詰まっているからです。

 

そしてそのでっぱりを使わないとストローク(愛情)を得ることができなかったため、その恐怖心を心のどこかで常に感じているからなのです。

 

それは、自分の存在価値が失われるのではないか…、という恐怖。

 

なので世話をしながらの苦労や不自由は、共依存症者にとっては逆に「自尊心」を保つことができ、それが自分の生を高揚させているような気持ちを持つのです。

 

それはいわば「偽りのエネルギー」のようなものなのです。

 

この偽りのエネルギーを、いつまでも気づかないまま心に持っているため、真の愛情がわからず関係を歪ませながらも必死で生きようとするのです。

 

要は自分の「コブ」で、いくら相手(依存者)の心の「穴」を埋めようとしても、また逆に癒しを求めても、その方法では永遠にお互い満たされることはないのです。

 

そして、そんな関係をお互いに続けていても、待っているのはそれぞれの「心」を歪ませながら傷を大きくするだけなのです。

 

なので、そこにいくら幸せを求めようとしても、ボロボロになっていく自分を「一生懸命しているのに、なぜこんなことになるの?」と、ただ嘆くばかりの人生となっていくでしょう。

 

真の親密と愛情とは・まとめ

 

カウンセリング心理学において「真の親密」とは、自分の「穴」は自分で埋め、自分の「でっぱりのコブ」は自分で処理し、お互いに適度な距離を持って、尊重し合うということを理想としています。

 

なのでパートナーと一緒にいても、苦しい気持ちをどこかで感じていたり、常に悲しみがこみ上げるようであれば、 そんな自分の愛情が共依存関係ではないか、何かおかしい何か間違ってるかもしれないと、どこかで気づく必要があります。

 

この理論であえて「愛情」を説明するならば、「純粋な愛情」とは無条件のプラスストローク、つまりお互いが相手本意で愛情を無条件で与えられることを言います。

 

そして自分が必要以上にお世話をしなくても、いちいち手や口を出さなくても、必ず相手には相手の「」があることを信じることができる、ということなのです。

 

最後は自分もそして相手も、何も条件などなくても、それぞれのその人らしい等身大の姿で存在することを認めること、その実現を信じあえること、それが本当の「親密な関係」なのです。

 

この、「信じる」という言葉の反対の意味は「心配する」です。

 

なので「あなたのことが心配」だというのは、一見優しいように相手には聞こえますが、実際はその人のことを信じていないから出る言葉なのです。

 

心配だからといって、その人の心にズカズカと入り込み、必要以上に相手にお世話をしたとしても、それはただその人を「ダメ」にするだけなのです。

 

そういう意味でも、お互いが「適度な距離を保つ」ことができる関係というのは、「相手や自分を信じる力がある」ということの証明でもあるのでしょう。

 

 

 

お読みくださりありがとうございました

この記事を書いた人

 

はじめましてmarupoです今年50歳です

24歳で結婚しその後二人の子宝に恵まれたが、その育児の真っ最中に「うつ病」を患い同時に体も動かすことができなくなり入院。 そんな自分をどうしても受け入れられずに苦しんでいたが、その病院の本棚で「心理学の本」と出逢い、そこから心理学の学びがはじまる。 この学びを活かして、これまで20年ほどカウンセラーとして対面や電話などでいろんな方の悩みや相談に対応し、自らサロンを開いて数年間講座などもしていた経験をもつ。

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