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共依存になりやすい人14の特徴
まとめ
こんにちはmarupoです
前回「共依存と依存」についてお話ししました。共依存者(コブ)は依存者(穴)がいてお互いを必要とする関係です。
共依存症者…いつも依存者に付き添っている、献身的な世話役の人たちの存在をいいます。
共依存症者は、関係の深い特定の「依存者」に対して、自分を犠牲にしてまで過度に世話をしたり、相手の行動をコントロールすることに力を注ぎます。
そして自分のことはさておき、相手の世話をすることに夢中になりすぎてしまい、その人(依存者)が背負うべき責任までも自分が負ってしまうのです。

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今回はそんな依存者に一生懸命になってしまう、共依存になりやすい人の特徴をお話ししていきたいと思います。
共依存になりやすい人の14の特徴
①今の現状や自分の感情・欲求がよくわからない |
自分のことより相手のために何をしてあげたらいいのかばかりを執拗に考え、気をもんでしまいます。客観的に見れば自分の現状に余裕はないのに、無理して相手に合わせたり沿おうとします。
また自分は我慢するが、相手に対しては「あの人の気持ちに沿わないと悪いな…」という思いが強く、本音が言えない人が多いのも特徴です。
②ありのままの自分でいいと思えない |
常に等身大の自分、ありのままの自分でいいと思えず、誰かのために頑張ります。いつも自分以外の誰かのために頑張っている自分でないとダメなのです。
そして誰かの役に立ったり、必要とされているのだという証明や見返りがないと、不安や自分の存在価値を感じることができません。
それは自分が自然な姿の「そのままの自分」で存在することは誰からも評価を得られない、恐ろしい状態だと思い込んでいるのです。
③相手と自分の境界線があいまいになっている |
「私は私」「あなたはあなた」というボーダーラインがあいまいになっています。
なので相手のことなど考えず、その人の問題にまで侵入してきたり、頼んでもいないのにお節介になったり、同情しすぎたりと、どこまでが自分のものでどこからが相手のものなのかわからなくなり、混乱していく傾向があります。
④道徳論・理想論、空想に囚われる |
人や世間に対して「~すべき」や「~するのが普通でしょ」「世の中が悪いから~」など、何か自分の思い込んでることに対して、それがあたりまえという道徳的、または理論的な固定観念を持っています。

この世はすべて禁煙にすべき!それがあたりまえでしょ!
また「きっと神様は見ててくださっている…」や「いつか神様は助けてくれる…」など、いつもこの状態に苦しみながらも頑張っている自分は神様やこの世にはないところで救われるはずだという気持ちに浸りやすく、そんな空想に囚われている人も多いです。
⑤相手の問題は自分のせいだと思い込む |
パートナーや親しい人が落ち込んだり悩みを抱えてしまったり、自分に対して何か気に入らないような態度を取られてしまうと、それは自分の問題だと思い込み、自分がもっと頑張らないといけないと思ったり、悪いところをなおせば相手が変わってくれる、自分を受け入れてくれると信じ、その努力を怠ることは罪深いことだと思っています。
⑥物事を極端に捉える |
「善か悪か」「やるかやらないか」「白か黒か」など、物事を極端に捉え、ほどほどの考え方や言動ができないことが多く、自分の中で正しいと思ったことや間違ってることに対しても決めつけて物事を言ってしまうこともあります。

お酒は体に悪くて不健康!飲まない人は健康!

そんな決めつけなくても…飲んでても健康な人はいるのになぁ
⑦尽くしまくって相手を支配する |
相手の世話をし、誠心誠意尽くすことで相手を支配しようとします。
一方で、その行為や自分の思いが思った通りにならないとイライラしたり振り回されます。そして相手に恨みや怒りを持ったり逆切れしたりして、被害者意識に苛まれます。
⑧自分自身の問題があるにもかかわらず |
自分自身に大きな問題があるのに、それを心の中に押し込め、それとは向き合わず否認し、たいしたことではないように周りに振舞います。
また周囲との和を保とうと尽力し、それをまわりにも強要したりします。そしてそうしない人や無頓着に見えるような人に対して腹を立てたりします。
⑨溜まった怒りを上手に扱うことができない |
自分中で不満や気に入らないことがあったり、何かに対して怒りを感じると、その怒りや不満を適切に扱うことができません。
そして自分より弱いと思う人間に八つ当たりしたり、陰で悪口を頻繁に言ったりします。
⑩待つことができない |
相手の世話は辛抱強く続けることができるのに、相手が自分の力や考えで判断しようとする姿を、忍耐強く待つことができません。

なかなかうまくできないなぁ

そんなこともすぐにできないの?私がやっておくからいいわ
⑪見返りを求める |
世話をする報酬として、相手から「感謝される」という「お返し」や「見返り」を無意識に期待し、それが実現しないと落ち着きません。
また相手に対して執拗にその理由を求めたりします。そして相手の態度しだいでは憤慨したりします。
⑫過去の体験を反省したりそこから学ぼうとしない |
相手やパートナーに対して、何か許せない出来事が起こると「怒り」の感情を持ち、その時は許せないのですが、その後何かのきっかけで相手に対して「同情」したりします。そして最初の許せない怒りとは逆に、相手を許してしまいます。
例えば彼が浮気をしたとします。それに対して許せない感情を持ちます。
けれど彼が浮気をした原因が親からの愛情が少なかったなど、そんな淋しさからきているとわかると、そのことに対して「彼もかわいそうな人なんだ…」と同情します。
そしてそんな何かの理由をつけて「やっぱりあの人には自分じゃなきゃダメなんだ」と許してしまいます。
そして状況が少しでも良くなると、相手の良いことだけ都合よく思い出し、相手がまた裏切るようなことをしても、再び同じサイクルを繰り返します。
ただ、このような考え方は結局何度も同じことをされても、別の誰かと付き合うことになっても同じようなサイクルを繰り返してしまうのです。
「怒り」➡「同情」➡「許し」これを繰り返すだけで、過去の体験から学んだり、自分の考えを反省をしたりしません。
⑬見捨てられ不安 |
自分は「いつかは見捨てられるのではないか」という恐れを抱いているため、相手やパートナーと真の意味で「親密」になることを避けようとします。
⑭自分に自信がない |
自分に自信がないため、人と親密になることができません。
なのに一人になると不安になるのです。その見捨てられ感が見境なく、お互いを支配したりされたりというボーダーレス(境界線をあいまいにしている)関係をつくってしまったり、また相手にどんなに傷つけられても自分を大事にすることができないような行為に走ってしまいます。
まとめ
共依存とは人間関係に依存するという、一種の依存の姿です。
依存者がいつまでたっても自律できず依存者のままでいるのは、共依存者が存在するからです。
なので逆に言うと、共依存者にとっては依存者が自分に依存し続けてくれないことには、自分の存在意義が見いだせなくなるのです。
しかし、「誰かの役にたちたい」と思うことは本来悪いことではありません。ましてやそれが大切な相手であるならそれは自分の自然な欲求でもあります。
そして人間観に基づき、人と関わる上での所属欲求や承認欲求は自己実現や自己成長の過程として人間らしい欲求なのです。
つまり「誰かの役に立ちたい」と思う言動が真の実現であるためには、自分の中でしっかりとした土台が必要となってくるのです。
このどこかが大きく欠けていたり、気づかないまま押し付けたりするのは「自己犠牲」という名の献身や忍耐にすり替えていることと同じです。それは真の自己実現にはつながらないということなのです。
この続きは➡燃え尽き症候群・バーンアウトになってしまう原因とは
お読みくださりありがとうございました以上marupoでした