こんにちはmarupoです
人は自分のそばにいる近しい人間関係ほど、本当はいつも仲良くいたいものです。
家族や夫婦、親子、恋人、親しい友人など、その関係が近ければ近いほど、そう思うことが多いのではないでしょうか。
けれどその逆に、どんなに近い間柄でも「なんでこんな人間が自分の親なんだ」とか「こんな夫(妻)とは一緒にいたくない」と思って過ごしている人もいるかと思います。
そんな場合はその関係が近いがゆえに、苦しい毎日を過ごしながら悩みも尽きないかもしれません。
とくに家族の基盤となる「夫婦」は、その関係が良くなかったり崩れてしまったりすると、自分たちやその周りの身内や人間、とくにその夫婦の子どもなど巻き込んでつらい状況になってしまいます。
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ただ、ケンカといっても「夫婦喧嘩もするけど仲良い時もある」のであれば、ひとつひとつ問題をクリアしながら歩んでいけます。
けれど毎日傷つきながらその場にいる状況なら、新しい人生のために離婚することも自分のためでもあります。
そんな方々もゲシュタルトの祈りという言葉を聞いたことがある人は、この世にたくさんいらっしゃると思います。
これはドイツの精神学者フレデリック・S・パールズが創設した「ゲシュタルト療法」の思想を盛り込んだ詩です。
ゲシュタルトの祈り
・私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。
・私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
・私はあなたの期待に沿うために、この世にいるのではない。
・あなたは私の期待に沿うために、この世にいるのではない。
・あなたはあなた。私は私。
・それでもお互いが出会うなら素晴らしい。
・もし出会えないなら仕方ない。(それもまた同じように素晴らしい)
これは近しい間柄であればあるほど、必要な言葉です。
そして自分の大切な人生のために必要な言葉です。
なぜなら人間はどんなに血がつながっていたとしても、愛し合っている者同士でもひとりひとり個々の生物、自分と同じではないからです。
どんなに絆の深い親子でも、夫婦や恋人、愛し合ってる者同士でも、何かの違いで相手を傷つけてしまうことはあるのです。
しかし、それは自分が気づかず悪気なくやっていたり、本来相手を信頼する気持ちや、お互いを必要としている気持ちからくることかもしれません。
それはその根底に自分の気持ちを相手は「わかっててあたりまえ」という思いを心のどこかに持っているということなのです。
なので何か相手の言動に対して、少しずつその自分の思いと相手の思いが違ってきたりすると、徐々にその気持ちが膨らんできて、相手にイライラしてきたり、何か言ってしまったりします。
それが相手に対する「不満」や「怒り」です。
例えば奥さんが毎日育児に追われ睡眠時間も取れない中、自分は子育てをしながら家事も頑張ってるのに、なんで夫は仕事だからと平気でお酒を飲んで遅くに帰ってこれるんだろうという悩みを抱えていたとします。
しかし、夫はお金を稼ぐため仕事を頑張ります。
なのでお酒の付き合いも仕事のうちだから仕方ないだろう、それくらい妻だったらわかっててあたりまえだと思っています。
けれど妻は寝る時間もあまりなく子育てで体力も使うので心身ともに疲れていることぐらいわかってるでしょと夫に対して思っています。
なのでお酒飲む時間を割いて家のことをして欲しいと夫に言います。
仕事だから仕方ないだろう!
子育てが大変なことくらいわかるでしょ!
このように、相手に不満や怒りを持ってしまうとき、自分の苦労や大変さなど夫婦なんだから「そのくらいわかるだろう」という気持ちからきたりします。
けれど相手は自分とは同じ人間ではないので、どんなに夫婦だとしてもハッキリ言えば相手の考えてることは「わからない」のです。
しかも「わかっててあたりまえ」という本当に知ってほしい内容、自分の気持ちはきちんと言葉にして伝えず、そこを飛び越えて怒りや不満を相手に投げつけます。
そして相手に対する信頼を失くしてしまうのです。
自分にとっての大事なことは相手もわかってくれていると頭のどこかで信じていた、なのにそれが相手は違っていたとわかったとき、落ち込んだりムカッとくるわけです。
要はそれぞれの思い方考え方の違いに一番の大きな理由があるのです。
それは「価値観の違い」であり、それがどんどん大きくなってくるとケンカになり、またひどくなれば離婚問題へと発展していくのです。
では、その「価値観」を同じにすればいいのか、というとそれも違います。
「価値観」というのは、その人の性格や質や体質、見方感じ方などが合わさりできたもので、その人の個性です。
なので人によっては似ていることはあっても、それを「同じ」にすることはできません。
ましてや相手も自分も超能力者ではないので、何も言わずに気持ちがわかるなんてありません。
なので自分の気持ちを相手に知って欲しいなら、不満をためてしまう前に言葉にして伝えることです。
それしか自分の本当の気持ちは伝わりません。
なのにそこをせず「わかってほしい」というのは、はっきり言うと相手に対する「甘え」でしかないのです。
それにもし言葉で伝えたとして、それでも自分の気持ちが相手にわかってもらえなくてもそれでいいのです。
なぜなら自分の素直な気持ちを伝えることが大事だからです。
あのね、ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど…
自分の気持ちを伝えて初めて相手に通じることがあります。
ただし、ここでも間違っていけないことは、自分の気持ちを相手に押し付けないこと。
あくまでも自分の気持ちを伝えるということが大事なのです。
それにあなたの気持ちや価値観を無理やり押し付けるのではなく、素直に相手に伝えたらきっと相手も自分の気持ちを言いやすくなるはずです。
相手の本当の素直な気持ちがわかると、相手を助けたいなど、サポートしようという気持ちが生まれます。なぜならそれはその人にとって大切な存在だからです。
そして自分の気持ちを伝えたら、あとは相手がどう受け止めるかです。
もし価値観が「同じ」じゃない、違うと思ってもそれが「あたりまえ」で、腹を立てたり押し付けたり、否定することではないのです。
そこで先ほどの「ゲシュタルトの祈り」の詩です。
・私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。
・私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
・私はあなたの期待に沿うために、この世にいるのではない。
・あなたは私の期待に沿うために、この世にいるのではない。
・あなたはあなた。私は私。
・それでもお互いが出会うなら素晴らしい。
・もし出会えないなら仕方ない。(それもまた同じように素晴らしい)
どんなに近しい間柄でも、「言わなくてもわかってくれる」や「わかっててあたりまえ」など、相手が自分と同じことを思ってるなんて最初からありません。
だからこそわからないときほど素直に言葉にしてちゃんと伝えることが大切です。
そして自分には自分の考え方や力があり、また相手にもそれがあるということを知っておくことが仲良く一緒に生活しながら生きていくコツです。
ずっとその人との関係を大事にしたいなら、お互いに気持ちの自由を与え合うこと、そして不満や怒りに変わる前に大切なことは言葉で伝える。
なので夫婦仲良く過ごすためには、自分と相手の境界線、生き方や考え方の価値観がそれぞれちゃんとあることを意識し、認め合いながらお互いの気持ちを大事にしていくことが大切なことでしょう。
お読みくださりありがとうございました以上marupoでした