こんにちはmarupoです
自分だけがもっている「思い」や「考え」、それはその人の生き方、人生となります。
人は心で思い、頭で考える生き物です。それはみんな同じじゃなく、一人ひとり生き方が違うように、思い方、考え方というのは人それぞれです。
自分が思うこと、それは感情です。きっと誰もが幸せになりたいと思いながら生きています。
けれど、なかなか自分の思った通りに行かないのが人生でもあります。
なぜなら「喜び・悲しみ・怒り・驚き・恐怖・嫌悪…」など、物事や対象に対して自分が抱く気持ちである感情を常にもち、その思いからくる人間関係、価値観、仕事、社会、家庭、生活…など、いろんな出来事の中で生きているからです。
けれど、感情や思いというのは、自分が先に頭でしっかりと考えてだせるものではなく、いつの間にか感じてしまうことがほとんどです。
そんな自分の感情の中で、いつの間にか沸き起こっている思いが、ポジティブな感情ばかりなら良いのですが、それとは逆に、人には身体にも心にも大きな負担をかけてしまうくらい、厄介な感情もあります。
その厄介な感情とは、「怒り」の感情です。
人が「怒り」の感情をもってしまうとき、そのきっかけは外からの出来事や他人の影響がほとんどであっても、本当のところは自分自身が「怒り」を作っています。
今回は、そんな「怒り」の感情についてお話ししたいと思います。
「怒り」という気持ち |
怒りという感情、これが心にわいてくると、人はイライラしたり、ムカついたりと、心は穏やかではなくなります。
この感情は「怒ってはいけない」というように、日本などでは特に押さえ込んでしまう習性のある感情です。
とくに日本の教育は、幼いころからそのようなことを親や学校で言われながら「我慢」させる、ということを教えます。
もちろん、子どもに対して多少の我慢を教えることは大切です。ただ、それはあくまでも「親や大人の感情」ではなく、無条件の愛情からくるものでないといけません。
⇩合わせてお読みください⇩
親や養育者となる人、大人、教育者などは、「無条件の愛情ストロークの法則」を理解して子どもと接していかないと、子どもはそれを心から受け入れることができないにもかかわらず、やがて大人になると、それは自分の正義だと思ってしまうこともあるのです。
そしてこの「我慢」させてきた「怒り」というものは、心の中でどんどん形を代えたり膨らんだりしながら、別のモンスターに代わってしまうこともあるのです。
そのモンスターとは、嫉妬の感情だったり、
人によっては「怒鳴ったり」「キレたり」という、コントロール不能な暴力となってしまいます。
抑えつけられた「怒り」の行く先 |
人はどんなに似たような環境で育ったとしても、その人の思い方や考え方で生き方が違ってきます。
なので、幼いころの環境がたとえ同じような場合だったとしても、その子が自分の内側に思いをためてしまうタイプだったり、外に発散できるタイプの子だったり、その子どもの質によっては、また大人になったときの生き方がそれぞれ違ってくるのも確かです。
なのですべての人がそうなってしまう、ということではありませんが、極端に厳しい家庭だったり、虐待があったり機能不全の家庭など、幼いころから自分の怒りや感情を出しづらいような環境で育った人や、大人になっても家庭や仕事などで我慢ばかりしているような人の感情というのは、いったいどこへいくのでしょうか。
このような場合、実際に人は「怒り」などの感情を抑圧しすぎたりしてしまうと、そのうち大きな衝動となって爆発してしまいます。
また、自分の中にためてしまったその怒りは、「恨み」や「妬み」あるいは「罪悪感」や「憂鬱な感情」となって、歪んだ化け物に変化していきます。
その結果、人によっては心身症を発症してしまったり、また周囲にその感情をぶつけるようなタイプになってしまったりする場合もあるのです。
なのでどのような場合でも、結果は人に迷惑をかけてしまったり、自分が苦しむこととなります。
「怒り」は小さなうちに |
怒りの感情に自分が気づくまでには段階があります。
「怒り」の段階
①ちょっとした違和感 ⇩⇩ ②「嫌だな」「居心地悪いな」 ⇩⇩ ③「イライラ」「腹が立つ」 ⇩⇩ ④「怒鳴る」「キレる」 ⇩⇩ ⑤「コントロール不能」「心身症」「暴力」 |
最初は、人や物事などに対して、①「ちょっとした違和感」を感じるところからはじまります。
そしてその違和感は、②「嫌だな」「なんか居心地悪いな」というような気持ちになっていきます。
その①、②という程度のものを自分が放置してしまったり、その時に気づかなかったりした場合、その違和感や嫌だなという気持ちは、いつの間にか③「イライラ」や「腹が立つ」、人によっては「鬱陶しい」など、そんな感情になって心の中でふつふつと沸き立ってきます。
だいたいは、この①~③の間で、人は自分の怒りに対する感情をコントロールします。そして相手に伝えたり、誰かに聞いてもらったり、何かの手段を考え発散したりと、自分なりに調整しながらコントロールしていきます。
ただ、そういうこともできない、自分の気持ちが収まらない、発散しても追いつかない、そういう場合になってしまうと、④「怒鳴る」「キレる」ということになっていきます。
この場合、相手に対してキレたり怒鳴るとなると、もちろん喧嘩や争いごととなります。けれど、これは対象が自分自身にも向けられる場合があります。その怒りが自分の内側で大きくなると、その感情は恨みや妬み、罪悪感など、歪んだ化け物になっていくのです。
そしてそれを繰り返すと、挙句には⑤「コントロール不能」になります。これはもう自分では怒りを処理することができなくなります。
そうなると「心身症」を患ったり、「暴力」などといった行為となります。その暴力は誰かに向けられてしまったり、自分自身を傷つけたりと、最悪の結果を生んでしまうのです。
怒りは自分で作っている |
人が「怒り」の感情をもってしまうとき、そのきっかけは外からの出来事や他人の影響がほとんどであっても、本当のところは自分自身が「怒り」を作っています。
なので、その「怒り」の感情が、どの程度自分に影響を及ぼしているのか、冷静に考えることが大切です。
怒りの感情とは、誰でも急に沸点にはいきません。あくまでも、気づくか気づかないかの差でしかありません。
意外ですが、④の「怒鳴る・キレる」また⑤の「コントロール不能」のような結果を生んでしまう人というのは、怒りの段階の①~③までの自分の気持ちがよくわからない、という人が多いのです。
自分の感情が、先ほどの「怒りの段階」の③の「イライラ」や「腹が立つ」まできたとき、その気持ちを自分自身に問いかけるだけで、小さな怒りに気づくことは誰でも可能です。
そしてその怒りは、大きくなる前に「自ら気づいて」「表現する」ことが大事なのです。
怒りは大きくなる前に、相手にも自分にも明確に「NO」を伝えること。
そのように「怒り」の感情に気づいたら、それが小さいうちに日常的に表現して処理することが必要です。
自分だけがもっている感情、思い方や考え方は、その人の生き方、人生となります。
なのでこの厄介な「怒りの感情」と、自分自身がうまく付き合っていくことができれば、きっと人生も良くなっていくことと思います。
お読みくださりありがとうございました以上marupoでした