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機能不全家族の中で子どもが演じる役割とは
こんにちはmarupoです
子どもにとっての「安全な基地」とは、本来機能している健康な家庭で過ごすことをいいます。

これはどういうことかというと、機能している家族では子どもを脅かしたり、また子どもに責任を感じさせてしまったりする親や養育者がいないということです。
それとは逆に機能していない家族「機能不全家族」の家庭の子どもは、その家族間での強固な暗黙のルールの中、必死に自分の役割を見つけ、責任を負わされ、それを果たすことでその家族の一員と認めてもらえるようその役割を演じていくのです。
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「機能している家族」と「機能していない家族」
機能している家族の子ども
機能している家庭で育つ子どもというのは、その中で一定の役割を押し付けられることもなければ、親の価値観を無理やり取り込ませられることもありません。ましてや家族のなかで語ってはならないこともありません。
そもそも健康に機能している家庭では、家の外側に対して秘密にしておかなくてはいけないこともないので、もし子どもがわからないことがあっても素直に大人に聞いてきたりします。
そんな子どもは「怖い」「怒り」「不安」など何かに対して見たり感じたりしたことを、大人に言葉にして疑問として訪ねたりします。それができるかできないかはとても大切なことで、なぜならそんな過程の中に子どもの発達があるからです。
機能していない家族の子ども
一方で、秘密やルールでがんじがらめにされた家族では、子どもが何か大人のすること、家族の中で起こっていることに対して、見たものを見ないことにしたり、不安や恐れがあっても感じたことを感じなかったことにすることが日常行われています。
その結果、子どもが疑問として話しかけたり放つ言葉は敵視され、喋ることに罪悪感を伴ってしまいます。それはその家族独特の雰囲気を醸し出していたりします。
その中で育つ子どもは、言葉にされないルールにからめとられ、子どもの心(自己)の発達は、ある段階で止まってしまうのです。
そして、アダルトチルドレンを世に出してしまうのは、そうした「機能不全家族」からで、そこからできてしまうのです。
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「機能している家族」と「機能不全家族」の相違
では、機能不全家族と、機能している家族の特徴を比較してみましょう。
【機能不全家族】 | 【機能している家族】 |
◉強固なルールがある ◉強固な役割がある ◉家族に共有されている秘密がある ◉家族に他人が入り込むことへの抵抗 ◉生真面目である ◉家族間でのプライバシーがない (個人間の境界が曖昧) ◉家族への偽の忠誠 (家族のメンバーはその家族から去ることが許されていない) ◉家族間の悩みや苦悩や葛藤は否認され無視される ◉変化に抵抗する (しきたりや伝統、代々受け継がれている宗教など変わることを恐れる) ◉家族は分断され、統一性がない |
◉強固なルールがない ◉強固な役割がない ◉家族に共通されている秘密がない ◉家族に他人が入ることを許容する ◉ユーモアのセンスがある ◉家族間でそれぞれの個人のプライバシーが尊重され、自己という感覚を発達させている ◉家族のひとりひとりが、自分の家族であるとの感覚を持っているが、家族から独立して去ることも自由である。 ◉家族間の葛藤は認められ解決が試みられる ◉常に変化し続ける ◉家族に一体感がある
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このように、機能不全家族では全体主義国家や宗教的カルトのように家族を拘束し、一定のルールのもとで生活を強制し、個々のプライバシーを軽視します。
その被害をとくに受けるのが「子どもたち」で、そんな親たちから有形無形に侵入され、それはいつのまにかその家のルールに自ら進んで拘束される「良い子」になりがちです。
そのような家庭の子どもは、そこに窒息感を抱きながらも、家族から離れることができず、家族の現状を躍起になって守ろうとします。子どもたちはそうして頑張ってるうちに、機能不全家族を維持し続けるための一定の役割になり、それを演じ続けるのです。
そうした役割の典型的なのものを見てみましょう。
機能不全家族の中での子どもたちの「役割」
①【ヒーロー(英雄)】 |
野球やサッカーなどのスポーツの代表、学年でトップの成績、または歌手や芸能界の子役など、とにかく世間で高く評価される子どもがその家族から出ると、その子のさらなる活躍に熱中して、両親の冷めかけた関係などが一時的に良くなったりします。
そうなると子どもの方でも一層また頑張ってしまいます。それは自分がそうすることで家族や両親の仲が良くなるため自らヒーローになるのです。
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【スケープゴート(犠牲の山羊)】 |
先ほどの「ヒーロー」役の真逆にあたるのが「スケープゴート」役の子どもです。これは一家の中のダメを全部背負うような子どもです。
とにかく、この子さえいなければという幻想を家族に抱かせることによって、家族の真の崩壊を防いでいるような存在です。例えば以下のような役割をしています。
・病気をするといえばこの子 ・けがをするといえばこの子 ・学校に呼び出されるといえばこの子 ・悪さや乱暴をするといえばこの子 ・近所の子の親が怒鳴り込んでくるのはこの子が原因 …など |
【ロストワン(いない子)】 |
「ヒーロー」や「スケープゴート」のように目立たず、「いない子」という存在の役割をしています。
とにかく静かで家族から「忘れ去られた子ども」です。はじめのうちはここに居たかと思っても、いつの間にかフッとどこかへ行ってしまっていたりします。そしていなくなってしまったことも気づかれないという存在です。
こうしたかたちで家族内の人間関係を離れ、自分の心が傷つくことを免れようとしているのです。
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【プラケーター(慰め役の子)】 |
慰め役の子どもが慰めるのは、その一家の中でいつも暗い顔をして、溜息をついている親、多くの場合は母親です。
それは夫の暴力や飲酒のことで頭がいっぱいになっている母親に対して「どうしたの?」と優しくたずねるような子どもです。小さいカウンセラーとも呼ばれます。
その役割を演じているのは、多くの場合は末っ子が引き受けています。
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【イネイブラー(支え役の子)】 |
支え役の子は小さい時から、他人の世話を焼いてくるくるとよく働いています。
母親に代わって幼い兄弟姉妹の面倒を見る長女(お姉さんの立場の子など)であったり、その家族の父親がダメな存在の場合のときなど、その家の長男(お兄さんの立場の子など)がその家の支えとなり、しっかりとした父親のかわりとなって働いたりします。
ただこの場合(父親役の男の子と母親)は、あまり依存的になってしまうと「まるで夫婦のような」関係になってしまうこともあります。
そしてこの逆で母親がダメだったり欠けている場合などは、もっと深刻な事態が発生する恐れもあります。それは無能力な女の子が母親役をすることで、父親からの性的虐待を招くことがあるからです。
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この他にもいろいろな役割はありますが、いずれにせよ、そうした役割を担いながらその家で子どもたちは成長していきます。
これらの子どもたちに共通しているのは、「自分の都合」ではなく、家の中の雰囲気、母親の顔色、父親の機嫌などを優先して考えることです。
夫婦間でのDVや暴力があっている家庭の子どもは、自らスケープゴートになり、非行に走ったり、自分が家庭内暴力をすることで親の暴力を鎮めたり、夫婦間の離婚を防いだりといったことは、むしろ普通にありえることです。
ただし、これは「無意識の言語」なので、子どもたちが意識してこのようなことをしていることではないのです。
なのでそうしてしまう子どもたちの伝えたい内容はわからないし、また子どもたち自身もわからないことなのです。
まとめ
こうした機能不全家族の中で、自分の役割を無意識に必死で演じるという生き方の結果として、彼らは自分の感情を感じることができません。そして自分の欲望を持つこともできません。
自分の欲望を棚に上げたまま他人の欲望を自己に取り入れ、それを自分の欲望のようにして生きているのです。それはつまり「共依存」ということなのです。
自分の欲望という中身が欠けてしまい、ロボットのような生き方になってしまい、人間としての感情を持つことができなくなります。
なので、人間として感情豊かに生きていくためには、子どもにとっての「安全な基地」をあたえることが大切です。
お読みくださりありがとうございました以上marupoでした