殺意は誰の心の中にも潜んでいるかもしれない

心理学講座

こんにちはmarupoです

 

この世では、ほとんどの人々が殺人は絶対に犯してはならない重大な罪だと認識しています。しかし、それにもかかわらずなぜかどこかで起こってしまいます。

 

 

しかも、殺人とは相手を消し去りたいという強い感情によって起こります。

 

人が人を殺してしまう理由や動機はいったいどこからくるのでしょうか。

 

日本での殺人事件の検挙件数における被疑者と被害者の関係を見てみると、全体の半数以上が実は親族であることがわかり、しかもそのうちの4割ほどが配偶者の犯行でした。

 

これは「夫婦間」「親殺し」「子殺し」など、日本では特に近親者間での殺人事件が多く、高齢化による「介護疲れでおこる殺人」なども目立ちます。

 

また、恋人の浮気を知り裏切られたとわかったときカッとなって殺してしまったり、お金を騙しとられた、馬鹿にされつづけて我慢できなくなり殺してしまったなど、殺人の動機はさまざまです。

 

この「人が誰かを殺す」のは、相手に対して何かしらの感情があり、それが恨みとなったり、並々ならぬ怒りとなったり、愛情が憎しみになってしまったとき、その人の理性にブレーキが利かなくなってしまい殺人に至ってしまうのです。

 

しかし、この恨みや憎しみ、憤怒といった感情は、実は人間であれば誰もが心の中にもっている感情なのです。

 



 

殺意につながる感情は誰でも心にもっている

 

人は、誰かに対してあまりにも強い恨みや怒りをもったとき、その相手を自分の目の前から消してしまいたいという思いが強く込み上げてきます。

 

しかしそのような感情をもったとしても、実際に「殺したい」とまでは思わないものの、「あいつが憎い!」という根っこの部分の感情は、殺人者と何も変わらないのです。

 

ただ殺人に至らないのは、「自分が加害者になりたくない」「犯罪者になりたくない」「親や周りに迷惑をかけてしまう」という気持ちから、心にブレーキがかかるためです。

 

しかしその心のブレーキが壊れてしまうと、人は理性が利かなくなり、殺人を犯してしまうのです。

 

このように、人が誰かを恨んだり憎んだりする気持ちとは、殺人をするしないは関係なく同じ気持ちであることは確かなのです。

 

そのブレーキが壊れてしまうとき、相手に対する憎しみもかなり強い時だといえます。それは愛が憎しみに、そして恨みへと変わっていく瞬間でもあるのです

 

愛や憎しみが恨みへと変わるとき

 

やはり殺人事件で多いのは「怨恨による殺人」です。

 

たとえば信じていた恋人が自分の友人と浮気をしていた場合や、また不倫相手が離婚するといった言葉を信じて待っていたのに、相手の奥さんに子どもができたなど、信じていた恋人に自分が裏切られたと知ったとき、その人の相手に対する愛情は憎しみへと変わります。

 

またいつもお金を貸してくれてた人が、なぜか急に貸してくれなくなったとき、その相手に対してカーッと頭に血が上り、そばにあった包丁などの刃物でつい殺してしまったという話も多いのです。

 

このように、愛情や憎しみが殺してしまいたいほどの強い恨みに変わるのはなぜでしょうか。

 

その理由の一つが、「依存」です。

 

「依存」は、相手に対する「甘え」の気持ちからきています。

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怒りという感情

人を信用できない本当の理由は

 

 

これは自分が信じていた相手に対して何かしらの期待をもち、依存(甘え)し、その相手から拒絶されたと感じた時に、その人に対する愛情や憎しみは恨みへと変わるのです。

 

これはストーカー殺人などでもよくある動機です。

 

このように、人は相手に対する依存度が高いほど、その歪んだ愛情が憎しみになり、それがさらに強い恨みへと変わったとき殺人は起こります。

 

また、人が「恐怖」を感じた時、その強迫観念から殺人につながることもあるのです。



強迫観念からくる殺意

 

あなたがもし、仕事などで自分が築き上げてきた大切なポジションを誰かが奪おうとしているかもしれないと感じたとき、そのときどのような感情がわくでしょうか。

 

たとえば職場に優秀な社員が入ってきて、その相手が自分より仕事ができるような場合、自分よりも先に狙っていたポストにつくかもしれない、という不安な気持ちを心のどこかに感じてしまうかもしれません。

 

そしてその人は「あいつが来たせいで自分の立場が危うくなるのではないか」という恐怖心をもってしまいます。

 

ここまでの「不安」⇨「恐怖心」は誰もがよく思うパターンかもしれません。

 

しかしこのような状況でも殺人は起こってしまうのです。

 

このような場合の殺人は「不安」⇨「恐怖心」そしてさらに⇨「強迫観念」へと進み、それが恨みへと変わります。

 

この場合の強迫観念とは、自分の立場に不安を覚えた人が、その相手(優秀な社員)が自分を排除しようとしているという不安やその恐怖からくる思い込みです。

 

その思い込みは、自分の立場が危うくなるのではないかというその人の妄想からきています。

 

そしてその妄想から、その人は相手に対して勝手に敵意を感じ取り、それが一気に恨みを強くしてしまい結果殺人に至ってしまうのです。

 

このように、自分の妄想、思い込みという強迫観念が殺人事件へつながっていくのです。

 

また強迫観念とは、頭にこびりついている考えや衝動、心につきまとっている不快な気持ち、またイメージなどから不安や恐怖などの不快感が引き起こされる状態をいいます。

 

このような強迫観念が強い人は、被害者意識の強い人でもあり、そのような妄想の恐怖が一気に恨みとなり、殺人事件を犯しやすくなってしまいます。



 

まとめ

 

殺人がおこってしまうとき、その相手を恨み自分の前から消し去りたいという強い感情によって起こります。

 

人はこの恨みや憎しみといった感情は、実は誰もが心の中にもっている感情なのです。

 

 

ただ、そのような感情をもったとしても心にブレーキがかかり、実際に「殺したい」とまでは思わないのです。

 

しかし殺人犯になってしまう人は、愛や憎しみといった感情が、あるとき殺してしまいたいほどの強い恨みにかわるのです。

 

ぜったいに許せない!

 

そしてそのブレーキが利かなくなったとき、殺人は起こってしまいます。

 

しかし殺人を起こしてしまう感情は特殊なものではありません。

 

殺人をしない人でも、誰かに対して「あいつが憎い!」という感情をもったとき、そのときは殺人者の感情と何も変わらないのです。

 

なので「殺意」というものは、その感情から引き起こすものであり、しかもその感情は誰もが自分の心の中にもっているということなんですね。

 

お読みくださりありがとうございました。以上marupoでした



お読みくださりありがとうございました

この記事を書いた人

 

はじめましてmarupoです今年50歳です

24歳で結婚しその後二人の子宝に恵まれたが、その育児の真っ最中に「うつ病」を患い同時に体も動かすことができなくなり入院。 そんな自分をどうしても受け入れられずに苦しんでいたが、その病院の本棚で「心理学の本」と出逢い、そこから心理学の学びがはじまる。 この学びを活かして、これまで20年ほどカウンセラーとして対面や電話などでいろんな方の悩みや相談に対応し、自らサロンを開いて数年間講座などもしていた経験をもつ。

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