こんにちはmarupoです
自由と聞くと、まず思い浮かぶことはどんなことでしょうか。
人によってはいろいろあると思いますが、たとえばたくさんお金があって、しかも仕事をせずに暮らすことは、だれもが理想とすることです。
また、毎日ゲームや自分の好きなことだけして生きていたいなどあります。
このように好きなことだけを自由にしながら、しかもお金や食事の心配がなければ、どんなにいいだろうと誰しも憧れます。
これはぜったい無理ではありませんが、今の生活からこのように変えようとするなら、やはり宝くじにでも当たらない限り一生難しいかもしれません。
ただ、もしも本当にこのような自由な生活を手に入れたとしたら、人はいったいどうなるのでしょうか。
誰しもそんなことはありえないと思う反面、もし本当にそうなったら…と考えるだけで、確かに幸せな気分になって、それを想像するだけで楽しくて楽しくて仕方なくなります。
しかし、ちょっと待ってください。ここでひとつ重要なことをお伝えします。
実は、人間というのは欲張りではありますが、飽きっぽい生き物です。
なので、どんなに幸せだ!楽しい!と思っていても、好きなことだけしてほかに何もしない過ごし方だと、間違いなく長くても1か月ぐらいすれば徐々に飽きてきます。
そして、その「飽きた」という状態のまま、さらに半年も過ぎれば、もう我慢も限界になり、また違う生き方を求めようとするものです。
人間は、あんなに幸せだと思って憧れていたことでも、このように飽きてしまうと、もうそれを続けるのが苦しくなり、いつのまにか「我慢の限界」という、気づけば地獄のような日々になっていくのです。
しかし、なぜ人間はあんなに憧れていた生活でも、我慢の限界や地獄だという気持ちになってしまうのでしょうか。
それぞれの心が求めるものとは |
本来、人間は長ーい退屈が苦手です。
そして、その地獄という気持ちになってしまう主な原因は「暇」です。
もともと人間は自分の欲求があり、そしてその欲求を満たすために活動するようにできています。
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なので、このように「何もしない生き方がしたい」と求めることも、確かにその人の自由です。
しかし、実際にはそのようなことを頭では望んでいても、本当に心の奥から求めていることではないのかもしれません。
たとえば、昔の童話に出てくるようなお城で暮らすお姫様などは、贅沢なものに囲まれ誰もが憧れ羨むような存在です。
そして庶民は、そんなお姫様を毎日指をくわえて陰で眺め、誰もがみんなつらい労働の中で、わずかな食事をとりながら生活をしています。
そんな庶民は、毎日毎日働いてもお姫様のような暮らしとは程遠く、憧れを抱くばかりです。
しかし、庶民がどんなにそうなりたくても、これには足元にも及ばず、そこに生まれてくるでもしない限り、こればかりは到底ムリなことです。
一方でお姫様は、そのお城の中で守られながら、何不自由ない暮らしをします。
庶民では口にすることもできないような豪華な食事、大きくて部屋もたくさんあるようなぜいたくな暮らし、そして常に身の回りのお世話をする人がいて、いつも綺麗なドレスを身にまとっています。
しかし、だいたいそのような物語の中にいるお姫様は、毎日が退屈で仕方なく「いつか自由になりたい」と願っていたりします。
なのでどんなに庶民が憧れを抱いていても、何不自由のない豪華な生活をしていても、当のお姫様は幸せを感じていないのです。
このように、どんなに恵まれた環境にいても「退屈」というものは、いわば牢獄のようなもので、それに毎日縛られ続けると、別の世界を見てみたい、そこから逃げたいと思うのです。
早く言えば、いくら贅沢で裕福でも、それを心から幸せと感じることができないのなら、その人の心は不幸なのです。
そして、お姫様と庶民という生活の質が違っても、どちらも心は何かに縛られたまま、似たような気持ちで過ごしているのです。
なので、どんなに何不自由なく過ごしていても、何もせず「退屈」な毎日を生きることは本当の自由とはいえないのです。
では、いったい何が「本当の自由」なのでしょうか。
人間が求める本当の自由とは |
本当の自由とは何か
これは私がこのブログからいつも言っている「心の自由・解放」です。
(このブログでは心理学を基に『自由で幸せに生きるために』をテーマに、ありとあらゆる角度から物事や心の在り方を伝えています)
心の自由とは、人それぞれがもつ「心を縛っているもの」からの解放です。
どんなにたくさんのお金を手に入れて、仕事や煩わしい人間関係から離れることができ、ひとりのんびりと贅沢にくらすことは、それに飽きが来ないうちはいいかもしれません。
しかし、人間には「欲」という欲求があります。その気持ちが芽生えてくると、人はそれを満たそうとして、何らかの活動をしはじめるものです。
そして人が思うこの「欲求」とは、実はその人自身の「使命」にもつながります。
人が、これは自分にしかできない、これを果たそうという使命感をもったときも、自分の思い(欲求)を満たしたいということでもあります。
まず人間の欲求とは「食べる寝る」などの自然的な欲求をはじめ、欲しいものや得たいもののために、それを満たそうと日々何かしらの活動をします。
やはりそうなると、食べるため、お金のため、自分が生きるために仕事(活動)をすることは人間として正しいことです。
しかし、そこに幸せを感じているかといえば、もちろんそうだという人もいますが、ほとんどの人は毎日の仕事に、苦痛ばかりを感じていることが多いのではないでしょうか。
その仕事に自身の求める欲求があり、そこに使命を感じていればいいですが、もしそうでなければ、退屈でつらいだけとなります。
そのうえ毎日の通勤、パワハラや面倒な人間関係、朝から晩まで時間を拘束されるなど、なにかと大変な毎日です。
しかし、大切な家族と過ごすためだったり、自分の生活のためには、このような日々は仕方ないと思うかもしれません。
ただ、どんなに毎日がんばっていても、その仕事に自分の思う「魅力」や「生きがい」を感じることができなければ、どうしてこんなに毎日つらいのに、なぜ働かないといけないんだろう…などと悩んでしまい、それがひどくなってくると、生きる意味さえわからなくなってしまうこともあります。
そして怖いのは、そうやって、人が落ち込んで心に元気をなくしてしまうと、そこから「うつ病」や「身体の病気」を発症しやすくなるのです。
こうなってしまっては、何のために生きているのか、幸せとは何なのか、ただやりたくもない仕事をするためだけに、この世に生まれてきたのかなど、もう自分ではわからなくなってしまいます。
しかし、このようになってしまっては、せっかくのたった一度しかない大切な自分の人生が台無しです。
またこれには、人がこのような状態に陥ってしまうということに、実は根本的な原因があるのです。
その原因とはみんなと同じことをしているからです。
これはどういう事なのかというと、人は生活のため生きるため、宝くじでも当たらない限り、若いうちから老いてしまうまで、ずっと仕事(活動)をしなくてはいけません。
けれど、この生きるための活動が、みんなと同じようなことをしているから、つまらないしつらく感じてしまうのです。
たとえば、サラリーマンや公務員、農業や肉体労働などいろんな仕事がありますが、なんとなく安定だから選んだとか、長男だから家業を次ぐことになったなど、とにかくみんながそうしているから、自分もそれをただなんとなく選んだとなると、もうそこで自分の人生は大きく変わってしまいます。
しかし、そこに自らが望んで、そして生きがいをもってしていることなら、きっと毎日幸せを感じるはずです。
なので一番は、自分の欲求からくることを仕事にする、要は自分の好きなことや生きがいを感じれることを仕事にすれば、心は自由になりそして幸せを感じます。
そしてここでもう一つ、最も大切なことがあります。
それは自分を縛るものから、心を解放させてあげることです。
その心を縛るものとは、人によってさまざまであり、ひとりひとり違います。
そして、その心の縛りがあるうちは、嫌でもこの環境から抜けることはできないまま、みんなと同じことをしてしまいます。これは先ほどのお姫様や庶民の話と同じです。
なぜなら、本当はその牢獄という今の環境から抜け出したいのに、自分がその牢獄から出る勇気がないため「ムリ、できない」と決めつけ、そしてそうやって自ら牢獄に入ったままの人生を選ぶのです。
これを言い換えれば「自分で自分の心を縛っている」のです。
なので本当のところ、自分の心を縛り付けて自由を奪っているのは、会社でも煩わしい人間関係でもなく、自分自身なのです。
自分が求める本当の自由が欲しければ、まずは牢獄から出ようという気持ち、要は自分の心を縛りつけているものから、解放してあげることが何より大切なのです。
そして、自分の思う幸せのため、自由のために、その道を辿りながら自らの手でつかみに行こうという気持ちが大事です。
しかし何度も言うように、みんなと同じことをしていては、自分の思う幸せはなかなか見つけることはできません。
また、心が何かに縛られたままだと、どんなにお金を稼いでいい暮らしをしても、幸せを感じることはできないのです。
では、自分の自由を手に入れるためには、どうすることが一番良いのでしょうか。
牢獄から抜け出そう |
自分の自由を手にしたいなら、それはそこに挑戦すること、それしかないのです。
ここでいう挑戦とは、本当に自分のしたいことに挑もうということなので、もしかしたら人によっては今の仕事をやめたり、環境を変えなくてはいけなくなるかもしれません。
そうすると、仕事を辞めるなんてムリ、生活ができなくなるかもしれない、なので怖いという気持ちになるかもしれません。
しかし、この怖いという恐怖心や不安こそが、その人のもつ心の縛りです。
けれど、だからといって、すぐに辞めるなんてこともしなくていいのです。
まずは、自分の心を解放することを考えるのです。自分が本当に求めているものは何か、静かな場所で自分の心とゆっくり語り合いましょう。
どうしてそれが怖いのか、またこんなにつらく疲れているのに、なぜその牢獄に入ったままでいるのか、一度きちんと心に問いかけてみてください。
そうすると、自分の隠れていた本当の気持ちが、少しずつ見えてきてわかってくるはずです。
そうやって心を縛り付けているものを探し出したら、今度はどうすればそこから自分を解放してあげることができるか、大事なのは自分を責めたりせずに、心の中できちんと対話することです。
なのでまずは、そうやって自分の心と向き合いながら、将来の自分をどうすれば幸せにすることができるか考えることです。
そうすることで、自分の未来は希望へと変わります。
まとめ |
心に縛りがあるうちは、どんなにたくさんのお金を手に入れても、仕事や煩わしい人間関係から離れても、ひとりのんびりと贅沢に暮らすことができても、本当の幸せを感じることはできません。
人間が本当に幸せを感じるには、まず心が自由でなければいけないのです。
そのためには自分自身と向き合って、心の中の自分と対話をしましょう。
そして何が嫌なのか、何を恐れて生きているのか、自分自身の心に問いかけ聞いてみるのです。
本当に自分の心を自由にしてあげることができるのは、なんといっても自分しかいません。
そこをちゃんと考えどうすればいいか、まずは自分の今の気持ちを聞いて、1日でも早くその牢獄から出られるよう、心の中に溜まっているものを整えながら準備をしましょう。
そうすることで、今の自分が将来の自分に、本当の幸せを与えられることに繋がっていくでしょう。
お読みくださりありがとうございました以上marupoでした